| 峨眉山

峨眉山(普賢菩薩)は、四川盆地の西南隅にそびえる、中国四大仏教名山(普陀山、九華山、五台山)の一つ。いつも霧と雲に覆われる、3000mを越す山頂に築かれた寺には、線香の煙が絶えない。頂上からの高度差2500mの絶壁は本場アルプスに匹敵するものだ。また、麓に広がる亜熱帯の森から高低差2500mにおよぶ山の斜面には、様々な動植物が生息しており、文化と自然の両面から世界遺産に登録されている。
山麓から頂上までは3つの異なる気候帯にわけれることができる。降雨量(蜀犬は太陽に吼える)が特に豊富で、植物の種類が3000種にも及んでいるため、「植物の王国」と称されている。山の上には寺廊が多いが、特に有名なものには、報国寺、伏虎寺、万年寺、清音閣などが挙げられる。 万年寺の中の、高さ7.3m、重さ62tの象に乗った普腎和尚像は中国の重要文化財に指定されている文物である。此の普腎菩薩像は青銅製でどうしてこんなに重いものを、ここまで運んできたかは謎であるらしい。王様の乗る象らしく3本の象牙を生やしていた。
峨眉山の山中には、全山に50km以上の長い石段の道が築かれているという。とにかく規模が大きい。山頂を目指す信者や、山にこもって修行する僧が住むために、かつては100以上の寺院があったそうだ。今は、十数箇所以下に減ったとはいえ、自然にとけ込んだ、落ち着いたたたずまいが訪れる人の心を和ませる。頂上の万仏頂と万年寺、報国寺の3カ所を見学した。報国寺からゴンドラリフトまでバスで二時間を要する。
中国四大仏教聖地の一つであって、3099m(万仏頂)の全山はいつも善男善女で賑わっていた。その景色は天下秀と言われ、お山からの雲海の風景は素晴らしいの一言に尽きる。晴れた日にはミニアコンガ(m)が見えるという。ケーブル(日本製)が出来たお陰でほぼ頂上(3077m)まで楽々行けるようだ。そこから頂上までの坂道と階段は数万個の鍵で繋がれていた。縁結びの神様かな。麓の報国寺、ゴンドラの乗車地雷洞坪ではじゃじゃぶりの雨で深い雲に被われていたし、頂上の天気なんか当然ダメだと思っていた、ほんの10分足らずケーブルに乗るだけだから当然そのように考えていたが山頂は快晴だった。ホントニ吃驚した。雨の降った跡もなかった。当然下界は暑い雲と霧に被われていた。これが逆に幸いしたのだ。勿論ガスがすぐにかかるが、またすぐに流れていくようだ。峨眉山の街がたとえ雨であっても心配することはない。頂上は晴れていることが多いようだ。
万仏頂の崖の上には、善男善女が群れており、みんなしてどんより曇った太陽をバックに手を翳していた。手の周り(自身の身体の影)には太陽の乱反射が雲(ガス)に跳ね返り、明るい仏さんの光背(虹のようである)のように見えるようだ。ホントに後光をさしたようだ(ブロッケン現象)。こんなにハッキリと確認できるとは思わなかった。この現象は自分自身しか見ることが出来ない。隣の人のは見えないようだ。手を上げて振ってみるとそれも良く確認できた。もちろん、自分自身のものしか見えない。いろいろの条件(自然・日光・霧)が幸いしたのだ。これを仏光(聖燈)と称して、仏益に授かろうと、善男善女みんな一斉に手を翳していた。
【1996】 (登録理由)峨嵋山と楽山大仏は文化遺産と自然遺産とを結び付けた世界中でも稀な景観を有しており、多くの固有種や絶滅の恐れのある動植物を含む生物相と人文遺産を有し、地質研究の上でも参考になる地層を完全に保存しており、麓から山頂まで見られる植生の垂直分布等を有している地域であるため。
楽山大仏

世界一の大きな摩崖大仏(弥勒菩薩)。「峨眉山天秀、楽山天下奇」と呼ばれる景勝地。凌雲山の栖鷺峰の真下に位置し、大渡河、青衣江、岷江の合流点に聳え立っている。昔は13層に及ぶ祠があったと言う説もある。タリバン(アフガニスタン)によって、バーミヤンの巨大大仏も破壊された。時の指導者の言い分もあるだろうが出来ればこうした文化遺産は長く永遠に保存したいものだ。もうすでに普遍化され、宗教とかはまた別の次元のものではないだろうか。
いやー、とにかく吃驚こいた。大きいのだ。でっかい。梺から見上げても、上部の状態が判りにくい。上から覗いてみても全体像が掴みきれない。舟に乗り岷江の河中に出て初めて全体像が掴めた。とにかく巨大だ。自然の前には人力なんてたかがしれたモノと云われているが、なかなかどうして、90年の歳月をかけた人間の知恵と叡力の結集も大したモノだ。川の航行の安全を祈って凌雲の僧海通が彫り始め、高さ71m、幅28mを超す(18-20階のビルに相当する)弥勒菩薩像は奈良の大仏(ルシャナ仏)の約3.5倍にも達する。自然に対抗するかの如き人力も素晴らしいことだ。ただこの素晴らしい力を平和のため人類の幸せのため結集したいものだが。
楽山大仏は唐の玄宗の開元元年(713年)に彫り始められ、唐の徳宗の貞元十九年(803年)に完成し、工事は90年間もかかった。仏像右側の石壁には上から下へと険しい桟道が掘ってあり、九回も折れ曲がって下りていく。これがつまりかの有名な「九曲桟道」である。 「九曲桟道」は、長さは400m位で、凌雲山にある桟道と繋がっている。仏の体には排水システム(大仏の頭部には螺髻(らけい)が千個位あり、髷(まげ)は互いに連なっていて、法衣が流水の水路となっており、これが巧妙な科学的排水システムとなっている)もつくってあり、山水の侵食を防ぎ、風化作用を抑える作用を果たしている。この時代から現代にも通じるこうした高度な土木技術が駆使されていたようだ。
1989年頃に、観光旅行をしたある旅行者(広東省)により中国を驚かせることが発見された。新聞報道によると、この旅行者は帰宅し撮影した写真を合わせたところ「全部の写真を合わせパノラマにしたら、この凌雲山と烏尤山は寝ている巨大な大仏になるんじゃないか」とびっくりしたそうで、烏尤山と凌雲山は元々一つの山でしたが、2200年前李氷が岷江の整備事業の一環として灌漑水路を作るため山を掘ったため、烏尤山は凌云山と別々になったと言われている。
この寝ている大仏、いわゆる「睡仏」の体が凌雲山で、大仏はちょうどその心臓部に当たり、烏尤山は頭部となっている。静かに水面に寝転んでいる睡仏の一番不思議なのは、その頭部の目、口、鼻が実にいきいきしていることで、その形は人工的なものではなく、山の自然の植生によって成したものある。これは建造した時に意図して考えていたものではなく、天然の産物に他ならないのではないか。 |