三国というのは黄河流域の魏、揚子江流域の呉と四川の蜀のことをいう。三国時代というのは2世紀から3世紀後半の中国の動乱時代のことをいう。正確にいうと、220年の魏の成立から280年の晋の天下統一までであるが、一般的には、184年の黄巾蜂起の乱に始まる時代も含めて三国時代という。
四方を山山に囲まれた蜀は難攻不落の要塞と豊かな自然の恵みを持って、天府の国と称えされた。それを舞台として、1700年前の英雄たちがよく活躍し、その遺跡はいまでも残っている。
剣門関
剣閣県の北、30キロのところにある。剣門天下険と称され。その険しさで知られる剣門関は蜀の最後の攻防の地となった。263年、姜維はここでとめどなく押し寄せる魏軍を迎え撃った。
広元の明月峡桟道
広元の北、30キロのところにある。春秋戦国時代の秦によって開通されたという。その古いかけ道を孔明が整備し、北伐などの際に蜀の重要な軍用路として活用した。
広元の昭化古城
昭化古城は広元の南30キロ、嘉陵江と白龍江の合流点にある。漢の時代には関所が設けられ、暇萌関と呼ばれていた。建安23年、暇萌関を攻め取った劉備は蜀を手に入れるための計略を出したという。現在、明清時代に築かれた城壁が残っている。また、ここは張飛と馬超が戦った場所でもあり、更に時代が下って、孔明が直直に指名した最後の後者?費偉が暗殺された場所でもある。
江油闘団山
魏のケ艾率いる軍が剣門関を回避しつつ、西の陽平道により、江油を攻め取って、一気に成都を陷れ、劉禅を降伏させた。
梓潼の七曲山大廟
三国の蜀軍の主力の一つでさる。中国道教の遺跡をとして、有名である。
綿陽の冨楽山と富楽堂
綿城の会という場所。当時の益州牧劉章に漢中の張?征伐への助力を頼まれたため、劉備と劉章が対面したところ。
ロウ(門の中に良)中古城
明清時代の姿をそのままのこす。屋根の美しい町。三国時代、張飛が曹操の攻撃に備えつつ、最後の7年間を過ごした地である。
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